ということで、昼間っからラッパがうるさくてごめんねライブ、無事終了しました。
たくさんのお客様にお越しいただきまして、また遠方からもかけつけていただいた方もいらっしゃいまして、本当に感謝感激です。どうもありがとうございました!とりいそぎ。
仕事がげしょげしょに忙しいのですが、みんなも忙しいのであまり構ってもらえません。
しくしくしく。。。寂しい。最近ひとり言が多い。。。
何はともあれ今週末はめったにやらないReSPECTのライブですよ!!
みんな早起きしてワッチコンの準備体操して来てね~!
Zaboonもあるよ~~。
6/24(日) Zaboon&ReSPECT !! 昼間っからラッパがうるさくてごめんねライブ
飯田橋 Space With Open 11:30 Start 12:00
Charge 無料
※以前のライブご案内は曜日が間違ってました。日曜日です、日曜日。24日ですよー。
来ていただける方は是非ご一報ください。(^-^)ドタ参ぜんぜんOKですが。
たんに気持ちの準備(笑)。
行っちゃえ京都ツアーの後編です。えー、めちゃめちゃ長いので興味ない方はどうかスルーしてくださいね。(^_^;
下鴨神社でぶらぶらした後、さて、この後どうしたものか、と思案。心の中で「ここまで来たから、、、行っちゃう?あそこに」という声が聞こえます。心の準備ができてる時に行ったほうがいいような、いやいやせっかくだから行っておかねば・・・。悶々。ま、結局深いこと考えずにいっちゃいました。(^_^;;
私のなかで京都にはとっても大事な場所があるんです。京都といえば、ここ、みたいな。それが清閑寺です。清水寺の裏手から一山超えた所にある小さなお寺です。(昔は大きなお寺だったそうですが、応仁の乱で焼けてしまったのだそうで。)京都の数あるお寺の中でも相当マイナーな部類に入るお寺さんかと思います。清閑寺のすぐ横には六条天皇陵と高倉天皇陵があります。平家物語のヒロイン小督局は高倉天皇の寵愛をうけますが、高倉天皇の義父平清盛の怒りをかい、宮中を追われてこの清閑寺で出家します。高倉天皇は嘆き悲しみ「私が死んだら局のいる清閑寺へ葬ってくれ」と遺言して21歳の若さでこの世を去ります。小督局の墓も高倉天皇陵のすぐ近くにあるそうです。
さて、どうしてこの清閑寺がわたしにとって思い出のお寺なのかというと、話は21年前に遡りまして。。青臭い頃の話でちょっと、こっ恥ずかしいけど。。
1986年夏。日本洋画界の父、黒田清輝 生誕120周年記念の展覧会が目黒にある東京都庭園美術館で開催されました。庭園美術館って旧朝香宮邸がそのまま美術館として使われているアールデコ様式がとても素敵な建物なんですが、、、って話がそれちゃいますね。(^_^;
その庭園美術館で開催された「黒田清輝展」に当時高校2年生だったわたしは、なんとなく行ってみて、とある絵と衝撃的な出会いをすることになります。それは「昔語り」という大作です。「昔語り」は黒田清輝がフランス遊学から帰国した直後の京都旅行で着想を得たといいます。残念ながら完成作は昭和20年に戦火で焼失してしまっており、モノクロの写真が残っているだけです。展覧会には焼失してしまった「昔語り」の写真の展示と共に、作品を書くまでの大量の下絵やデッサンが展示されていました。
※こちらで、下絵やデッサンに関するもう少しマトモな画像と解説をみることができます
寺の僧侶が話す小督の悲恋の物語を、焚き火を囲みながら仲居、舞妓、若い男など数人の男女が聞き入っている、という絵ですが、中谷伸生さんの解説によると「黒田が意図したのは単なる歴史ではなくて、歴史を含んだ当代の風俗画的な構想画であったと思われる」とあります。そう、この絵の舞台こそ、京都の小さな寺、清閑寺であり、僧侶のモデルは清閑寺の住職、岩佐恩順さん。そしてこの絵の背景に描かれている階段と門扉は清閑寺横にある高倉天皇陵です。
どの人物もとても個性的で魅力的でありますが、私は特に右側で寄り添いながら話をきいている男女にひきつけられました。モデルをつとめたのは紙商の庄次郎さんと舞妓の玉葉さん。実際にこの二人がいい仲だったのかどうかは分からないのですが、ものすごい吸引力を持ってわたしはこの二人に魅せられてしまったのでした。
そして、何を思ったか、、という感はありますが唐突にわたしは「この二人を題材にした恋愛小説が書きたい!!」などと思ってしまったのですね。実はわたくし恥ずかしながら学生時代は作家志望だったりしまして、舞妓と商人の恋を小督局と高倉天皇の悲恋の物語とからめて書けたらすごく面白いんじゃないか、なんて思っちゃったわけです。画家のモデルに起用される、という非日常的な話をベースに二人の生活を描きながら、黒田清輝と「読書」のモデルであるマリア・ビヨーの恋物語も書いちゃおうっと、などと途方も無くデカイ構想にとりつかれてしまったのでありましたが、まぁ、オトナになってしまった今のわたしから言わせれば、笑止、の一言で終わっちゃうんですが。。まぁ夢見るのが青春時代の特権ですからねぇ。
そんなわけで1987年の1月、高校2年生のわたしは親に「頼む、行かせてくだせぇ~~」とお願いして、元日に一人取材旅行で清閑寺を訪れたのでした。訪れた清閑寺は元旦だというのにほとんど訪れる人もなく本堂は閉ざされており、えらく商売気のない小さいお寺でありましたが、わたしはとにかく大感激で、本堂前からはるかに広がる京都市街を眺めながら「書くぞ~~」と胸をふくらませていたのでした。とはいえ、現実的には、明治時代という時代背景や京都という場所、舞妓さんという職業、そして何より恋愛小説、という数々の要素が当時のわたしにはえらいハードルが高くて、当然のことながら妄想は頓挫するわけです。でも、ポジティブシンキングなわたしは(笑)、「今は書けないけどいろいろ人生経験を重ねて30過ぎたら書くんだ~」というほほえましい結論を導き出し、その思いを京都旅行の様子と重ねて随筆にして、学校の課題として提出しました。それがえらく国語の先生に気に入ってもらって学校の文集に載せてもらうことになり、なんだか周囲の好評を得ることになりました。その女の先生も若くして数年後に亡くなってしまい、その随筆にはいろいろな思い出が重なることになりました。
まぁ、30過ぎたら書くどころか、そろそろ40という年になってみて思うことは、青春てのはいいもんだね、というなんだか甘酸っぱい思いと、いろいろ折りのように重なる少しほろ苦い思いと、まだまだわたしなんて若造でこれからも人生いろいろな経験をしていくんだなぁ、というワクワクした思いと。そんなのが混在している中途半端な自分というのは一生続いていくんだろうなぁ、とそんなことを考えたり。
前フリが相当長くなりましたが、とにかくわたしにとって清閑寺はそんな思い出のお寺なんです。あまりに長くなったので、本編は別エントリで。。。
さて、そんなわけで、気を取り直して京都レポこんどこそ後編です。(^_^;;
河原町から京阪バスで清閑寺のほうにいけるようなことがガイドブックに書いてあったので、とりあえず、下鴨神社から四条河原まで市バスで出てみます。しか~~し、どこから京阪バスに乗れるのか皆目分からず。20分ほどうろついてみるものの、まるで原宿のような人通りにクラクラしてきて、時間も刻々と過ぎてゆくし、えぇ~いタクってしまえ、とタクシー乗り場へ。
「すいません、清閑寺までお願いします」
「え?どこですか??」
「清閑寺です」
「それ、どこにあるんですか?」
「え…?(^▽^;」
そりゃー、京都のはずれの方だし、決してメジャーなお寺ではないし、わたし以外の参拝客に会うこともまずないだろう、と確信はしてましたが。。。タクシーの運転手さんでも知らないほど寂れてますかねぇ。。一応、ガイドブックに2~3行載ってるけどなぁ。。
「えと、えと、五条までいって、1号線入るんですが」
「どっちの方に?」
「えと、えと、、」
「山科の方??」
「そうです、そうです~。なんか近くに『東山ドライブウェイ』って書いてありますぅ」
ガイドブックの地図はいまひとつ縮尺荒くて。運転手さんは五条を左折しながら同僚さんに電話で道を聞いてます。(^_^;;とりあえず、どういけばいいかはわかったみたい。ほっ。運転手さんいい人だったし、とりあえずよかった。。20年前はどうやって行ったんだろう、わたし。思いだせん。。。
ということで、距離的には2kmくらいなんだけどすっかり車しか通らないような山の中まできて、「あ、ここですね~」の運転手さんの声に顔をあげると、見覚えのある風景が。「わ~~、ありがとうございました!」と運転手さんにお礼を言ってタクシーを降りました。
わ~~!ここです、ここ。ほとんど変わってません。道路に面した駐車場から石段の上をみあげると高倉天皇陵が。懐かしすぎる・・・。20年前に初めてここを訪れて「わ~~!あの絵とおんなじだ!!」と感激した興奮が蘇ってきます。ひゃーー。
どきどきしながら石段を登りきって、高倉天皇陵の門の前まできました。じ~ん。
ここから先の石段は入れません。宮内庁の看板も変わってない気がする。
そして右の方を振り返るようにみあげると、、、は~~~(泣)清閑寺だよぅ。
高倉天皇陵といい、清閑寺といい、門のイメージが象徴として圧倒的に強く記憶に残っているんですよね。20年ぶりの再会に脳細胞がとてもヨロコンでいるのですが、よくみると、清閑寺、門しまってますね(爆)。あれれ、入れないんだ~~。うぬ~~。せっかく来たのに残念だなぁ。。この門の向こうには小さな本堂があってその前に「要石」って呼ばれる大きな石があって、そこから京都市街がはるかに眺め渡せるの知ってるんだぞ~~、などと思ってみる。入れてほしいニャー。呼び鈴とかないしな~。
ということで立ち去りがたく、門の前であれこれ写真をとってみます。
清閑寺の門の前から高倉天皇陵を見た図。「昔語り」の構図とほぼ一緒。
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清閑寺の門の前から京都市街方面を見た図。門の中からだとちゃんと市街が見えるんだけど。。
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ということで、未練がましく清閑寺門の前と高倉天皇陵の正面までのみじかい階段をいったりきたり(笑)。懲りずに高倉天皇陵の前でチンケな携帯でぱしゃぱしゃやってたら、ふと、清閑寺の通用口が開いてシャツにスラックスのおじさまが一人階段を降りてくるではありませんか。あっ。(^_^;;;こんなところで何してるんだろー、というお顔。
軽く会釈して「あの~、お参りできますかね??」とダメ元できいてみると
「あ、ほんのちょっとだったら良いですよ」と言ってくださいました。
わ~~~い。(^o^)
「ほんとは16:30までなんですけどね。。これから見回り行こうかと思ってたんで、ちょっとだったらいいですよ」とのこと。そうか!!(笑)下鴨神社を出てからなんだかんだ迷ってしまってついたときには16:30まわっちゃってたんですね。なるほどーーー。それで閉まってたら文句言えませんねぇ。すみませんです。ごめんなさい。
ということで、中に入れてもらえました。中から見た門です。右側の開いてるとこから入れてもらいました。
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ちょっと本堂は撮っていいものかためらってしまい、写真とれませんでした。なんでためらうかなー。感謝の気持ちの500円(笑)をお賽銭箱にいれてお参り。
周囲の山々の木の背丈が伸びたかもしれないくらいで、基本的には風景全然変わってません。変わってないのがこれほど嬉しいとは。
そして、本堂の前の要石です。願い事がかなうとか。。この石を中心に京都市街が扇のように広がって見えるんです。写真は白くなっちゃってよくわからないですね。ここであれこれ胸を膨らませていたものだったなぁ。。ここはその昔、山科から京都に向かう旅人がここまできてはじめて京都市街を見ることができてほっと一息ついた場所だったのだそうですよ。
ひととおり気が済んで(笑)本堂の裏手の小屋(失礼。。。でも20年前から小屋だった)に入っていったおじさまに「ありがとうございました~」と声をかける。ていうか住職さんだったのでしょうか。。このお寺だったら住職さんが一人で守ってる、ってあり得る。。でも袈裟きてないからわかんな~い(笑)。聞いてみればよかったなぁ。。。
「じつは20年ぶりに来たんです」と言ってみたらちょっと驚かれ、「黒田清輝さんの絵にあそこ出てきますよねぇ」と言ったらさらに意外そうな顔でびっくりされました。(^_^;
「写真みたことあります?」ときかれたので「ええ、その20年前に展覧会で見ました」と答えたら「うちのお寺にもあるんですよー」とおっしゃっていました。「よかったら鐘楼ついてってください」とも言ってくださったのですが、一人でつくのもちょっと恥ずかしくてやめておきました。(^_^;;
清閑寺は清水寺の裏手から「歌の中山」と呼ばれる山道でつながっています。確か20年前は清水まで歩いて帰ったんですね。(そして清水寺の人の多さに辟易したんだった・・・)この山道も味わいがあってとても素晴らしいのですが、「今日は清水まわっていかれるんですか?」ときかれて「いえ、今日はもう帰ります」と言った所、「帰り道わかりますか?」と。そういえばわかんない(爆)。車はびゅーびゅー通っているけどひとけが無いんですよね。
ということで、門のあたりから下の車道を見下ろして「いま車が曲がっていった道をくだっていけば10分くらいで市街地に出れますよ」と丁寧に教えていただきました。「お気をつけてお帰りください。是非また紅葉の頃に来てください」とも言って頂きました。本当にお世話になりました~~~。m(_ _)m
20年前に来たときには誰にもお会いできなかったので、今回少しの時間でしたがお話ができて、本当に嬉しかったです。
あとで東京帰ってきてからネットで調べたら清閑寺のもみじは葉っぱが小さくて「清閑寺もみじ」と言われているのだそうです。清閑寺にしかないんですって。知らなかったな~。またきますよ~。是非秋に。もうちょっと早い時間に(爆)。そのときには歌の中山も歩いてみようかな。
こうして、みなさんの親切に支えられてドタバタ旅行、無事おわることができました。お世話になった皆様、本当にどうもありがとうございました。
そして、ここまで長文お付き合いいただいた方、ほんとにすみませんねぇ。ありがとうございました~~。